在日大韓基督教会・豊中第一復興教会ようこそ! あなたの訪問を心から歓迎いたします。 환영합니다!

2011-09-18

2011-09-18

ボーダーレス

画像の説明

 今、少し不思議な感覚に陥っています。被災地に3日半滞在し、帰ってきました。非日常の世界から、日常世界へ戻ったわけです。

 震災後半年経っても、まだまだ町には凄絶な災害の爪痕が残っていました。道路は片づけられているものの、あちこちに瓦礫が積み上げられ、これから取り壊される建物、修復しなければならない建物だらけです。
 私が滞在した教会は、吹き抜けの礼拝堂の1階部分が浸水、ピアノは真っ逆さまになり、手もつけられない有様になりました。ボランティアの助けによって泥が掻きだされ、現在は床が貼りかえの途中です。傷んだ壁ははがされ、もともとあった仕切りの壁や扉はすべて取り除かれました。
 この教会がとても居心地がいいのです。壁がないため、どこにいても声が聞こえ、誰が何をしているのか様子がわかるのです。これから冬に向けて断熱材を入れるなど手を入れなければならない箇所がたくさんあります。
 けれども、もしかしたらこのままでも、いいのではないかと牧師は言います。もちろん寒い土地ですから、そのまま放置はできないのですが、キリストも傷跡の残る手足を弟子たちに見せられたのだから、これこそが福音であり教会なのではないか、と。

 驚いたことは、町の中でも、仮設住宅の前でも、教会の前を過ぎる人でさえ、人々は互いに声をかけ、挨拶をしあうということです。親しい人同士であっても、ボランティアであっても、全く知らない人でも同様に。
 互いに助け合って支え合って何とかいのちをつないで来た経験が、共に痛みを分かち合ってきた経験が、何の隔たりもなく「今いちばん弱い人」「助けが必要な人」を最優先しようという経験が、自然に人と人とのつながりを強めたのではないでしょうか。

 何でも手に入り、便利なものが揃い、整っている町の中では、人と人はすれ違い、互いに関心を持ちません。知らない顔であっても、こんにちは、ご苦労さんと声を掛け合うあちらの町と、さっさと通り過ぎていくこちらの町。どちらが日常でどちらが非日常なのでしょうか。

「悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。……憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける」(マタイ5:4,7)


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