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畏れおののいて

畏れおののいて

ゼラニウム

水曜日のこと、牧師説教試験が大阪でありました。祈祷会の時間に信徒を前にして、二人の伝道師が汗をかきかき、緊張した面持ちで説教をし、試験官によって評価を受けました。
思いがけず10月の総会で神学委員の一人に選ばれましたので、初めて試験官という大役を務めました。自分が試験を受けるために必死になり、試験官の前でカチコチになっていたのがついこの前のような気がするのに、なぜ私などが、と正直とまどいました。
しかし、この委員会に女性が入るのは初めてということで、何か果たすべき役目もあるかもしれないと気づきました。また、作業内容を聞いてみて、このような役目があるからこそ、学ぶ機会にもなり、プラスになると思い直し感謝しました。

さて、説教の評価の場で、ある試験官が「説教とは何ですか」と問うていました。いろいろな説明はできるのですが、ひとことでまとめるなら何ですか、と。
そういえば、すでに引退なさった先生が私の試験のときも、同じ問いをされたのを思い出しました。正解がほしいわけではなく、常に基本に立ち返り、自らの立ち位置を確認しておきなさいということなのでしょう。
私は「現代における預言だと思う」と答えたことを懐かしく思い出します。そのことを考えながら「では、牧師とは何だろう」と水曜日以来、改めて自問自答しています。時々考えることなのですが、神さまのみことばを取りつぎ、メッセンジャーとして伝えるという仕事は、遣り甲斐もあり、名誉な仕事である半面、とても恐ろしいことだと思います。

預言者イザヤが畏れおののきながら「わたしは汚れた唇の者」と言ったように、後ずさりしたくなることも度々です。しかし、そんな「わたし」を主が遣わしてくださる。主が責任をもってくださる。このことを常に心に留めて歩みたいと願っています。


「そのとき、わたしは主の御声を聞いた。『誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。』わたしは言った。『わたしがここにおります。わたしを遣わしてください』」(イザヤ6:5)



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