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地の塩として①

地の塩として①

カニサボテン

 先週は名古屋教会を会場に「女性のための聖書セミナー」が開催されました。毎年女性の視点からの聖書の講義を聴くのですが、今年は初めて男性講師を招きました。テーマは「原発について、聖書からのアドバイス」。今あちこちで引っ張りだこのN先生が来てくださいました。

 最初の講義では、ご自身の生い立ちと、反原発運動に関わるきっかけを丁寧にお話くださいました。ご家庭が複雑で幼少期に母親と死別、父親も不幸なことに妻を3度にわたって亡くし、最後の再婚後に病死します。その後、先生は継母の虐待を受けながら育ちました。
 唯一の心の支えになったのが、別居していた兄が帰宅していじめの場面を目撃すると、「絶対に赦さない!」と激怒したことだそうです。自分には味方がいるということが、どれほど勇気を与えてくれたかわからないと言います。

 ある時、先生の教会に日雇労働のおじさんが来るようになり、ともに信仰生活を送るようになりました。しばらくたってそのおじさんが、2冊のぶ厚いファイルを「先生が持っていた方が役に立つから」と託してきました。それは原子力発電に関する新聞の切り抜きで、黄色く変色したものもありました。おじさんは原発の釜洗いという危険な作業をして被爆したこと、その作業がどれほど弱者を痛めつけるものであるかということを切々と話してくれました。

 主イエスさまは「あなたがたは地の塩」「世の光」だとおっしゃいました。しかし、多くの教会は「世の光」、魂の救いやみことばによって受けた感動などには高い関心を示しますが、「地の塩」、この世の腐敗や悪に対して警鐘を鳴らすことには関心がありません。しかし、両者は車の両輪のようになくてはならないものだと先生は力説されました。
「地の塩」として、今私たちがするべきことは何でしょうか。

「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである」(マタイ5:13)


コメント

  • 心に残る共感出来る話しを書いてくれてありがとうございます。



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