在日大韓基督教会・豊中第一復興教会ようこそ! あなたの訪問を心から歓迎いたします。 환영합니다!

地の塩として②

地の塩として②

デンマークカクタス

 名古屋で開かれた「聖書セミナー」の続きです。
3.11の事故以来、私たちは原子力発電について大きな不安を抱えながら生活しています。でも、いったんその恩恵に与ってしまった以上、あまり批判できないのではないか。もっとクリーンなエネルギーまだ開発されていない以上、原発なしには必要な電力がまかなえず、生活が成り立たないのではないか……などなど。

 しかし、そうではありませんでした。危険な地震列島日本には54基もの原発がありますが、今すぐすべてを停止しても、十分に必要なエネルギーを他の方法でまかなうことができるのです。
そして、様々な嘘で塗り固め、さも原発は安全でクリーンで環境に優しいかのように宣伝されてきた背景には、原発産業で膨大な利益を得る一部の人々がおり、その陰にはいのちの危険にさらされながらモノ言えない弱い立場の人々がいるのです。

「日本は核を作ろうと思えば1年以内に作れる。それは抑止力でしょう。私は放棄すべきとは思わない」。
このような某議員の発言が危険視されず、全く問題にならないのも、原発産業のお陰で甘い汁を吸っている政治家がいかに多いかを物語っているのでしょう。

 N先生が特に問題視されていたのは、被災地の復興が注目されても、福島は置き去りにされている感があること。一体どの程度危険なのか私たちには皆目わからないのですが、まずい数値は国が一切発表しないせいなのです。
「原発は差別の構造そのものだ」と先生はまとめておられました。

 子ども、貧しい人たち、何の政治力も権力もない人たちが犠牲になり、いのちの危険にさらされても見捨てられていく構造。イエスさまが今、この地を歩いておられるなら、どうなさったでしょうか。そのことを問いながら行動したいと思います。

「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである」(マタイ5:13)


コメント


認証コード1438

コメントは管理者の承認後に表示されます。

powered by HAIK 7.3.7
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. HAIK

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional