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バウンダリー①

バウンダリー①

パキスタキス・ルテア

「バウンダリー」ということばをご存知でしょうか。心理学用語で心の境界線のことです。何となく、境界線というと人と人の間に隔たりを作ってしまってよくないのではというイメージがあるかもしれませんが、実はこの境界線は私たちを規定するうえで、健全な人間関係を築いていくうえで大変重要なものなのだそうです。

 バウンダリーはアイデンティティーと重なる部分が多いように思います。私は誰なのか。何が私であって何がそうではないのか、その範囲を明確にします。私がどこで終わり、他人がどこから始まるのかを示します。子ども、夫や妻、友人などの相手に私がどこまで関与し、どこからは私の問題ではないのかを明確にします。

 言いかえると、この境界線がきちんと確立されていないと、人間関係に大きな問題を抱えることになります。自分の責任ではないことまで背負いこんでしまったり、人が決断すべきことに介入して他者の自由を奪ったりするからです。
 心の境界線は新生児にはもちろんありません。自我が発達するにつれ、自分と他人を区別し意識します。そして健全な境界線が設定されるためには、健全な愛情が注がれることが不可欠です。

 また身体的、精神的、感覚的な境界線とともに、霊的境界線というものもあるということです。なるほどこれは、クリスチャンにとって一考の必要がありそうです。
 神さまと私たちはできるだけ近くありたいし、離れずにいたいものですが、明確な境界線があるはずです。それなのに、私たちは「自分の思い」を勝手に「神のみこころ」と決めつけてしまったり、心のつぶやきを「祈り」だと言い張ったり。バウンダリーがあいまいになっていないでしょうか。

 神さまは境界線を尊重されます。私たちが信じようとしないのに、従おうとしないのに、「お前は信じるべきだ」といって強引にロボットのように従属させようとはしません。興味深いテーマなので、次回に続けます。

「人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません」(コリⅠ2:11)


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