自由と放縦
自由と放縦
オリンピック招致に熱心な東京都知事のイスラム差別発言が問題となりました。
今年の2月ごろから、東京の新大久保では嫌韓デモが繰り広げられています。在日韓国朝鮮人を排除することに情熱を注ぐ団体が、韓流好きの人たちが集まる店や情報の集中するコリアンタウン化した町で、日の丸を掲げながら「死ね」「出ていけ」「ゴキブリ」などと見るにも聞くにも耐えられないプラカードを掲げ叫びながら練り歩いているのです。これに対して「差別はやめよう」と主張する市民団体が行動を起こすようになり、両者が衝突して大変な状況です。
いかなる場合にも特定の人種・民族に対する侮辱、差別発言や行動は許されるものではありません。しかし悲しいことに、日本にはこのような人種差別を取り締まるルールが一切存在しないのです。先進国としてこれは恥ずかしいことではないでしょうか。
都知事は、反原発デモには日比谷公園の使用を認めないのに、差別デモは「合法だから見守る」と言ってはばかりません。自由と放縦を明らかにはき違えています。
「表現の自由」はいつでもどこでもどんな状況でも、何を言ってもいいんだということではありません。人間社会の基本的な人権、モラルの上に成り立つ表現が許されるのであり、無制限の暴走した「自由」ほど怖いものはありません。
このことはナチスドイツや「大日本帝国」の歴史が物語っているではありませんか。こんなことを、作家であり政治家であり“知識人”とされる都知事が知らないはずはなく、彼の言動には意図的なものを感じます。
愛するこの国が暴走しないように。再び過ちを犯し、戦争へと駆り立てられることのないように、目を覚ましていなければなりません。
「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません」(ガラテヤ5:1)
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昨年夏、自宅である教会の玄関前で「在日韓国人の頭をたたき割れ」「殺せ」というデモを間近でみて、うちの子供たちのショックは相当なものでした。今まで田舎で、そういうデモはなかったので。
自分自身の親が、兄弟が、殺せ!と言われたら、と考える冷静さを持ってほしいです。
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けろちゃんさん
コメントありがとうございます。長引く不況で職がないなど社会へのうっぷんがたまった若い人たちが、ストレス発散のために特にポリシーもなく加わっているという側面もあるようです。それにしても、歪んでいます。
お子さんたち、さぞショックだったでしょうね。
あんなひどいことはしてはいけない、と真剣に怒って行動している心ある方々も多いことも教えてあげてください。