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両刃の剣

両刃の剣

スノーフレーク(鈴蘭水仙)

 神のことばは生きています。信じて受け止めたとき、何かが起こるのです。

 教会の歴史の中で、中世は暗黒時代でした。建物が立派になりお金持ちになりましたが、形骸化した礼拝になり、ラテン語による聖書朗読は一般信徒には理解できない、お経のようなものになり、いのちはありませんでした。
 しかし、これは違う!とみことばの光に照らされた宗教改革者たち、ルターやカルヴァンが起こされ、世界を揺るがし、歴史を変える出来事、宗教改革が起こったのです。

 ところで皆さん、「聖書は神のことばである」と信じていますか。アーメンですか。それはすばらしいです。しかし、ここに落とし穴があります。
 神のことばだからと鵜呑みにするなら、とても危険です。剣は扱いに注意が必要です。アメリカで最近、5歳の子が誤って銃で妹を撃って殺してしまうという悲惨な事件がありました。

 鵜呑みはよくありません。何も考えないことになり、深みがわからないのです。神は人を用いられるのです。聖書にも文脈があり、背景があります。熱心に読むだけでなく、自分の頭で考えてください。考えないクリスチャンは成長できません。鋭い刃物を与えられ者として、これをよく知りよく学んで用いなければなりません。

 鋭いみことばを通して、神さまの御前には何も隠し通すことができません。私たちの心の奥底の、誰にも話していないような秘密さえ、主は明らかにされます。
 私たちは最後には、神の前に申し開きができなくなります。いくら恥ずかしくても逃げたくなっても隠れたくなっても、神様の前に立たねばならない時がきます。その時が恐ろしい裁きの日ではなく、神の御国に入れられる、神の支配に入れられる喜びの日となるよう、心をかたくなにせず、やわらかい心で「今日」主に従いたいと思います。

「というのは、神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです」(ヘブライ4:12)

2013.5.12礼拝メッセージ抜粋


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