応援団
応援団
数週間前のことになりますが、同じ日に二人の方から電話をもらいました。それが不思議に二人とも、特別な用事があって電話をくれたわけではないのです。
一人は私が新しい仕事を始めたのを気遣って、かけてきてくれました。神学校の同級生であり、わずか1年ですが学生寮で一緒に過ごしたので、なんだか顔をみるとほっとします。ちょっとした頼みごとをお互いにすることもありますが、そうではなくても、たまにこうして電話をかけてきてくれます。
用事がないのに電話をかけるというのは、なかなかできないことです。この人は本当に祈ってくれているのだと思いました。
もう一人は韓国と日本をワッタガッタ(韓国語で「行ったり来たり」のこと)している方で、半年に一度か、年に一度ぐらいですが、突然電話をくださることがあります。
以前、入院されたことがあり、お見舞いに行きました。その時にこれなのよ、といって見せてくださったものがあります。それは友人知人から送られてくる年賀状やクリスマスカードの顔写真と名前の部分だけを切り取ってリングで綴じた「祈りのリスト」の束でした。もちろん、私の写真もそこにありました。
たまにかかってくる電話で必ず、「いつも祈っていますよ」と言ってくださいます。その束を見た瞬間、ああ本当に毎日祈ってくださっているのだとわかり、胸が熱くなりました。
私たちが信仰を持つに至るまでに、実は知らないところで多くの方々が祈ってくださっていたのです。後からそのつながりを知って、驚くこともあります。神さまが心憎い配剤で、祈りの応援団を一人一人につけてくださっているのだと思います。
とりなしの祈りをすることは、イエスさまの働きを担うことです。誰かの応援団となって日々祈るなら、必ずその祈りがきかれ、祝福は天からきっと返ってくる。そう実感した出来事でした。
「こういうわけで、そのことを聞いたときから、わたしたちは、絶えずあなたがたのために祈り、願っています」(コロサイ1:9)
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