ひれ伏したサマリア人
ひれ伏したサマリア人
イエスさまの時代のユダヤの社会では、重い皮膚病にかかった人は隔離され、人里離れたところでひっそり暮らしていました。人の大勢いる場所に行くことはゆるされません。どうしても行かなければならないときは、音のするものを鳴らし「わたしは汚れた者です」と叫びながら歩かなければなりませんでした。
ところで皆さん、病気で入院したことがありますか。長くいると同じ部屋の人と親しくなりますね。たいがいは病気の話になります。そこでは年齢も職業もあまり関係がなく、同じ患者同士の連帯感があります。10人の病人も同じでした。
9人はユダヤ人で1人はサマリア人。ユダヤ人とサマリア人というのは、もとは同じ民族でしたが、北王国イスラエルがアッシリアに滅ぼされた後、異教のカナン人との混血によって生まれた民族がサマリア人です。ユダヤ人とは犬猿の中でした。しかしここでは、彼らは一つになっていました。そこには何の差別も区別もありませんでした。
ところが彼らの目的が達成されると、イエスさまに出会って癒されるともう、ばらばらになってしまいました。入院中は社会での地位などに関係なく同じ病人どうしいたわりあいますが、退院するとまた元の生活に戻っていくのと同じです。彼ら10人はもはや一緒に行動しようとはせず、9人と1人になってしまいました。
しかし不思議なことに、ユダヤ人ではなく、外国人、異邦人のサマリア人だけがイエスに感謝をささげるため戻ってきました。
私たちは、戻ってきてひれ伏した一人のサマリア人のように、主に与えられた恵みに感謝しているでしょうか?
私たちの周囲には、神の恵みと憐れみがあふれています。私たちの家も、家族も、仕事も、健康も、友人も収入も、時間も、すべて神からきたものであり、自分のものではありません。それはすべて、当たり前のものでもありません。すべてのものは、神の恵みの賜物です。主にまことの感謝をささげましょう。
2013.11.3感謝節礼拝メッセージ要約
「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか」(ルカ17:17-18)
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