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どうすればよいのですか

どうすればよいのですか

(ペチュニア)湯川さん、後藤さんのご家族の神の慰めを心より祈ります。人のいのちを軽んじもてあそぶことのない、平和な世界が一日も早く実現しますように。私たちが目を覚まして祈ることができますように

 今朝早く流されたイスラム国による後藤さん殺害のニュースを知り、胸を痛めています。このような国家とは認められない非道なテロ集団が早く解散され、暴行がなくならなければなりません。
 しかし、世界で唯一被爆した国、平和の使命を与えられている国が、いつでも軍隊を出動させる国と同じ動きをしてよいとは思えません。日本には軍隊がなく、平和憲法9条があります。そのため戦争をしない国、平和ブランドの国として世界から尊敬されてきたのです。しかし昨今の事態は、もはやそれが通用しなくなったことを示しています。

 さて、洗礼者ヨハネのことばを、私たちに置き換えてみますと、私はクリスチャンだから、教会に行っているから、こういう力のある人がついているから、仕事で成功しているから、などなど、神以外のものに希望をおいても、意味がないというヨハネのメッセージが今朝、語られています。
 誰であって、どんな家系、民族であっても、どういう知識や学歴や財産や人脈があっても、神の前には無意味なのだということです。神の怒りを、裁きを逃れることができないということです。力や知識や財産、どんなものでも神以外に希望をおく者は、ほろびます。神の裁きを免れる人は一人もいません。

 「斧はすでに木の根元におかれている」というのは、もう神の怒りは、神の裁きはそこまで来ている。逃げることができない、今もう大変な事態に来ているんだという強いメッセージです。
 今、私たちは、世界の人たちは、特に日本の人たちはこのメッセージに耳を傾けなければならないと思います。
 特に、日本におかれている私たちクリスチャンは、日本が平和の使者となれるよう、とりなしの祈りをしなければなりません。

そこでヨハネは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。(ルカによる福音書3:7-11)

2015年2月1日礼拝メッセージより抜粋

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