被災地のいま
被災地のいま
被災地を駆け足で訪問してきました。私にとって4回目の訪問になりますが、今回は大阪クリスチャンセンターが毎年行っている「祈りと支援の旅」のメンバーに加えていただき、仙台から石巻、南三陸、気仙沼を回る行程でした。
3つの仮設住宅を訪問して落語と交わりの集会を行いましたが、そのことを可能にしたのは、毎週毎週せっせと訪問し、よい関係を地元の人たちと築いてきた複数の牧師の仲立ちがあってのことでした。ある先生は仙台市内から週に3回、被災地に通って来られます。ある先生は、過疎の地に建てられた教会で踏ん張っておられます。ご夫妻は高齢で、「若い牧師さんに来てもらいたい」との地元の人たちの声を伝えるものの、なかなか来る人が見つからないそうです。
自治会長さんの歓迎ぶりから見ても、いかに日ごろよい関係をもっておられるかがよくわかりました。地元と密接し、彼らのニーズに応えようと奔走する姿に、胸を打たれました。
町長さんが屋上のアンテナにつかまって助かったことで、有名になった防災センターを訪れた時のことです。ここに来るのは3度目ですが、あたりの風景がすっかり変わっていて驚きました。海のそばは宅地として売ることができないため、道路と商業施設を作る予定でたくさんの土を盛りあげて造成中で、4階建てのセンターはすっぽりと埋もれて見えなくなっていました。
16メートル近くも底上げをすると、海が全く見えず、毎日海を見ながら育った地元の人たちは、とても悲しんでいるそうです。住民の要望に応えた町づくりではなく、東京で行政に決められ押し付けられるた町づくりと工事が進んでいるそうです。
何もできない自分をふがいなく思いながら、仕えることとは何だろうかと考えさせられる旅でした。
「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である」(マタイ7:12)