解放されて生きるために
解放されて生きるために
もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。
しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。
(マタイ6:14-15)
聖書が「赦し」を教えているということは多くの方が知っていることではないでしょうか。
敵を愛し迫害する者のために祈れとか
右の頬を殴られたら左の頬を差し出せとか。
また究極の「赦し」は、イエスさまが十字架上で自分を死刑にした者たちについて「父よ、彼らをお赦しください」と祈られたことがよく知られているでしょう。
しかし、知っていることと実際に人を赦すことは違います。
誰からからひどい目に遭い、どれほどつらい思いをしたか、そのつらさは本人にしかわかりません。
それを他人から「赦しなさい」と言われても、あなたに何がわかるの、と反発心をもってしまうことでしょう。
しかし、今日お伝えしたいのは、赦すことは他ならぬ自分自身のためなのです。
豊中出身の大藪順子さんはアメリカ在住のフォトジャーナリストです。
大薮さんはアメリカの自宅で、就寝中に暴漢に襲われレイプされました。
犯人は逮捕されましたが、ショックからうつ状態になり、とても苦しみました。薬を飲み、カウンセリングを受けましたが、恐怖が襲ってくるのです。
ある牧師から、あなたが犯人を赦さない限り生涯彼に支配されるよ、それでもいいのと言われたことがきっかけになり、犯人を赦す決断をしました。
もちろんすんなり簡単にできたことではありません。
しかし、自分をひどい目に遭わせた人に生涯縛られて過ごすのはごめんだ、刑務所から出ていつまた襲われるかもと恐怖に怯えて生きるなんて、人生の無駄使いだと気づいたのです。
そこで大薮さんは返事は来ないとわかっていながら、犯人にあなたを赦すことにしたという手紙を書いたのです。その結果、恐怖から解放されました。
同じように傷ついた人たちのことを伝えたいと、「STAND:性暴力サバイバーの素顔」というプロジェクトを立ち上げ、70人の性暴力被害者の男女の写真を撮影、取材をしました。
これらがドキュメンタリー番組に紹介され、本にもなりました。日本語では『STAND 立ち上がる選択』が出版されています。
自分が苦しめられたという被害者意識にとどまらず、その経験を生かして同じ苦しみに遭う人が少しでも減るために活動をしているのです。
この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。
だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。
(ガラテヤ5:1)
絶対に赦すものか。
あんな人は不幸になればいい。
わたしほどむごい目に遭った人はいない。
そんなふうに思っている間は過去に縛られ、
あなたが赦せないと思っている相手に、
あなたの貴重な人生を左右されてしまっていることになります。
イエスさまが十字架の上で「彼らをお赦しください」と祈られたのは、十字架がまさにイエスさまをはりつけにした彼らのためだったからです。
自分のしていることがどれほど罪深いかを悟らない、あなたとわたしのためだったからです。
憎しみに悲しみに痛み
囚われて不自由に生きるのではなく
そこから解放されて豊かな自由な人生を歩みましょう。
【祈り】
恵み深い神さま!
今朝もみことばをありがとうございます。
あの人だけは赦せないと思うことは、
その人に縛られていることだと今朝、気づきました。
囚われる人生ではなく、解放され自由な人生を歩みたいです。
神さまがわたしの過ちを赦してくださったので、
わたしも〇〇さんの過ちを赦します。
赦しの恵みを豊かに受け取らせてください!
主イエス・キリストの
み名によって
祈ります。
アーメン!
(メールマガジン「まな・Toyonaka」20171028より)