2011-05-22
2011-05-22
病を得て②
連休中に入院したため、病院で行なわれている毎朝の礼拝はお休みでした。GWが明けたら、チャペルがあり、みことばが聞けるんだ。チャプレン(病院付きの牧師)に会えるんだ、と心待ちにしていました。
もちろん一人で聖書を読み祈ってはいましたが、声を出して讃美歌が歌えないのが不便でした。また、病気の原因が全くわからず、入院が長引くのか手術でもしなければならないのか、先が見えないための不安もありました。
普段は忙しく礼拝の準備をし、礼拝を導く側にいます。一人の信徒として、こんなに礼拝が待ち遠しかったのは久々の経験でした。
待ちに待ったその朝。まだ絶対安静が解けていなかったため、ベッドの中でビデオ中継を見ながら礼拝をしました。讃美歌とみことばに思わず涙がこぼれました。
病室は消化器内科の部屋でしたから、胃や腸を手術する方ばかりでした。みな不安そうに入院してきて、翌日手術を受けます。もちろん数日辛いのを乗り越えれば、元気になって退院していくわけですが、やはり病気をするというのは不安なものです。
そんな中で、朝と昼、放送を通してみことばと讃美歌が聞けることは、大きな慰めとなりました。チャプレンからの「皆さまのご回復をお祈りしております」という言葉は、大きな支えとなりました。
希望と慰めのみことばをこれからも語り続けたい。たとえそれが、目に見えるような実を結ばなくても、主のみことばを語るなら、必ずいつかどこかで芽を出すのだと信じて語りたい、そう強く思わされました。
「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」(テモテⅡ4:3)