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寄り添う

寄り添う

仲良く寄り添うカエルの親子か夫婦。私は人に寄り添えているかと自問自答

 毎年2月に母校、関西学院大学神学部で開かれる「神学セミナー」に出席しました。今年のテーマは「自死と教会」という重い内容でしたが、私たちがどのように傷ついた方々に寄り添えるのかの大きなヒントになりました。

 特に興味深かったのは、ワークショップです。6,7名のグループに分かれて、「『死にたい』と思っているこのような人があなたのところに相談に来たらどうするか」ということを考えました。各グループにはどんな人が相談に現れたか、詳しい状況が設定されており、その人のことを考え、意見交換をしながら、肉体的苦痛、精神的苦痛、社会的苦痛、そして霊的苦痛を具体化にするというものでした。
 私たちのグループへの来談者は、「20代の同性愛者の男性で、フリーターで、父親は公務員、兄弟は定職についており、家族へのカミングアウトはしていない」という設定でした。まずは大きな模造紙に一人がモデルとなって横たわり、マジックで等身大の人型をなぞるところから作業が始まりました。モデルは、「この人は人と顔を合わせたくないという気持ちなのでは」と想像し、手を顔で覆ったポーズで横たわりました。

 悩み苦しみがあると、精神的な苦痛はもちろんのこと、様々な身体的症状を伴い、重ねて人間関係の亀裂や社会的役割の欠如などから「自分はダメな人間だ」「役に立っていない」など社会的な苦痛も伴っています。そして意識化されることは少ないものの、最も深層にあるのは、「神がいるならなぜ」「生きている意味があるのか」という神への問い、霊的な苦痛(スピリチュアル・ペイン)なのです。

 年に3万人を超える自死者を抱える社会の中で、一体何ができるでしょうか。私たちのすぐそばに、そのような悩みを抱えた人がいることは確かです。苦しむ人に寄り添う教会でありたいと願います。


「ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。……ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。(ルカ10:31-34)


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