女工さんたちの涙
女工さんたちの涙
11月末、フィールドワークで岸和田に行ってきました。岸和田といえば、連続テレビ小説『カーネーション』の舞台となった「糸へんの町」。戦前は紡績工場がたくさんあり、そこに朝鮮半島からの、また沖縄や被差別部落出身の女工さんたちが働いていました。彼女たちが集まってできた教会もあり、それは私たち在日大韓基督教会の歴史の一部でもあります。
岸和田紡績で働いた朝鮮人女工さんは3万人ともいわれるそうですが、名前さえ知られていません。慶尚南道と済州島の出身者が多かったようです。
彼女たちは12歳から40歳で、1日の勤務時間は12時間、休みは月に2日だけ。寮に住み込んでいる者には、休日以外に外出の自由もなかったということです。粗末な食事と狭い共同部屋、まるで監獄に捕らわれたかのような少女たちは、故郷の父母に再会できる日を夢見て懸命に働くしかなかったのではないでしょうか。
紡績工場や朝鮮人学校の跡地を回りながら、厳しい差別と孤独、貧困の中に置かれた1世のハルモニたちの無念さを思いました。平和な時代なら学校に行き、友だちと遊んでいるはずの少女たち。寂しさと不安の中、信仰生活が彼女たちの希望となりました。家庭集会、また工場内でもたれた礼拝に10名20名と集っていた様子が古い記録から浮かび上がり、苦しい生活の中でも主を讃美し、祈りを絶やさなかった様子がわかります。
現在は市が管理している共同墓地にも行きました。徳川時代からの歴史の古い墓地で、区画がはっきりせず、関係者がわかれば知らせてほしいとの札が立った無縁仏が目立ちました。
不衛生な共同生活ときつい労働の中、赤痢やチフスなどの伝染病で亡くなる女工さんも少なくなかったようです。故郷から10日以上かけて来た親が亡くなった娘の遺骨と対面したときの「アイゴーアイゴー」という慟哭の声が墓場に響いたといいます。
玄界灘を越えてやってきた女工さんたち。土地や畑を失って仕事を求めてやってきた労働者たち。その子孫が在日コリアン3世4世なのです。彼女たちの涙を決して忘れてはならないと思います。
「世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」(マルコ14:9)
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