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大好きな友人

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Kさんが好きだったムグンファ(槿・むくげ)

 師走になってから、訃報が相次いで舞い込んでいます。先日は、大切な友人Kさんの告別式がありました。
 Kさんとは、3年前、長崎の「キリシタン殉教者の足跡を訪ねる旅」で初めて会いました。関西女性会の主催するツアーで一行約40名の旅の一部始終をビデオカメラに収め、すぐご自身のブログにアップしてくれました。

 1941年生まれのKさんは、両親がそれぞれ職工として済州島から来日し、大阪で出会って結婚。戦後は多くの在日同胞が帰国するなか、一家も財産を整理する父親を残してまずは母と二人の息子が帰国。Kさんも国民学校(小学校)に入ったものの、朝鮮戦争が勃発して兄が徴用され、母親も11歳の時に病死し、学校に行けなくなりました。
 頼れる父も兄もいない中、母の遺体を近くの丘に埋めたと言います。ソウルに出て理髪店で働いて食いつなぎ、奇跡的に兄と再会。16歳で再び大阪に戻って父親とともに暮らし、学校へも通い、後に印刷会社を興します。

 Kさんの魅力は人の心を溶かす笑顔と、国籍、性別、年齢、宗教などの違いにこだわらない人との交流にありました。戦争と離別と貧しさと学べない悔しさと、それをバネにしたハングリー精神。そのライフストーリーを知った時、なぜ彼が「朝鮮(北朝鮮と韓国を含む韓半島)と日本の懸け橋になりたい」と言ったのか、なぜ平和を愛し、人を隔てなかったのかが少しわかるような気がしました。

 どんなことにも興味をもつ好奇心の塊のようなKさんは、仕事先で旅先で友人を作り、常にビデオカメラを片手にあらゆるものを記録しました。
 今年の初めに食道がんが見つかってからは、「食道がん克服日記」と題してブログ上で、自らの病状と必ず克つという意志を表明し、多くの方々に勇気を与えてきました。再び元気になって自転車で韓国を走破する夢はかないませんでしたが、たくさんの人に影響を与え爽やかな風のように駆け抜けたKさん。天国でお会いするのが楽しみです!

「平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)

KさんのHPはこちら 鳳bongのページ
故人の日常だけでなく、癌闘病、平和、人権、在日コリアンの歴史……さまざまなことが学べる膨大な写真資料のアーカイブです。


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