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営業マン

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別府名所「海地獄」

 数日間休暇をいただき、母と別府に行ってきました。いつも一緒でいいねと言われますが、だいたいセミナーなど仕事がらみで、純粋なふたりでの旅行は13年ぶり。普段の生活を離れてよい時間を過ごすことができました。

 駅前に「ピカピカのおじさん」と書かれバンザイの格好で立つユニークな銅像がありました。この地域の名士だろうとあまり興味は湧かなかったのですが、翌日の朝刊にこの人、油屋熊八が紹介されていて、別府観光の基礎を築いた人物であり、クリスチャンであることがわかりました。

 熊八は1863年愛媛県宇和島の大きな米問屋に生まれ、30歳になると大阪で米相場を開き巨額の富を築きますが、日清戦争で失敗。すべてを失って35歳の時に渡米し、3年ほどの滞在中に洗礼をうけます。帰国後、妻の実家である別府に趣き、日本屈指の温泉地であるこの地を観光名所にしようと思いたちます。それは「旅人をもてなすよう努めなさい」(ロマ12:13)という聖書の教えがベースになったといいます。

 彼はまず旅館(現在の亀の井ホテル)を創業。お客さんに万一のことがあった時のため、看護婦を常駐させていたこと、酒を決して出さず「飲むならよそへ行け」といったことなどユニークな逸話が残っています。次にバス会社を創業し、当時珍しかった大型バスをアメリカから購入、日本初の女性バスガイドを採用して定期観光バスを運行しました。

 別府や湯布院が全国に名所として知られるようになったのも、この人の功績なしには考えられないそうです。富士山に登り山頂に「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」という標柱を立てたことでも知られています。経営者でありアイディアマン、広告営業マンでもあったわけです。

 どんなにいい温泉があってもそれだけでは、人は来ません。あちこちに知らせ、人を呼んで楽しませるしかけがなければ、注目を集めることもないでしょう。
 私たちの持っている福音、キリストの光も、一人でこっそり持っていたのではその真価が表わされません。私たちはグッドニュースを手にしているのですから、よい営業マンになりたいと思います。

「ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう」(ロマ10:14)


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