あらゆる祝福を手にする
あらゆる祝福を手にする
明けましておめでとうございます。今年、私たちの教会に与えられた主題聖句は、申命記28章9節です。
1節から14節までに、7つの祝福が約束されています。第一に仕事の祝福、第二に家族の祝福、第三に経済の祝福、第四に行動の祝福、第五に諸問題からの勝利の祝福、第六に霊的祝福、第七に指導者となる祝福です。すばらしいです。ここには神に愛されて何も欠けるところがない人の姿が描かれています。こんなに何もかも揃った祝福ってあるのでしょうか。夢物語ではないでしょうか。
いいえ違います。神さまはこの世界を創造され、私たちをお造りになった方です。親が子どもによいものを与えようとするように、神さまは私たちによいものを惜しまれません。この年はあらゆる面での祝福を手にしましょう。
そのような祝福を手にするために私たちがすること、それはとても単純なものです。第一に主の御声に従うこと。第二に他の神々に仕えないこと、つまり偶像崇拝をしないことです。私たちはこのことをもう一度再点検してみましょう。いつでも従っているかどうか。後で、そのうち、ほどほどに、と言っていないかどうか。
私たちがあらゆる祝福を受け、リーダーとなるのは、私たちが賞賛を受けて威張るためのもではありません。主のものである私たちは、神さまの栄光を表すために造られました。私たちが祝され、指導者となるとき、他の誰でもない神さまが栄光を受けられるのです。
しかし100%主に従えない、弱い私たちの現実があります。ああ、ダメだ神さまに呪われてしまうと、15節以下を読むと恐ろしくなってしまうでしょうか。その必要はありません。キリストが私たちのために一切の呪いを十字架の上で引き受けてくださったからです(ガラテヤ3:13)。
主に感謝します。私たちはキリストのゆえに、祝福されることはすでに約束済みなのです。神の聖なる民とされ、あらゆる祝福を手にして神の栄光となる、その恵みをともに体験しましょう。
「もし、あなたがあなたの神、主の戒めを守り、その道に従って歩むならば、主はお誓いになったとおり、あなたを聖なる民とされる」(申28:9)
2014.1.5新年礼拝説教要約