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ふるさと①

ふるさと①

 フイリツルニチソウ
 
 皆さんは希望や夢をもっておられますか。この仕事をがんばったら明日おいしいケーキを食べようとか、ささやかな夢のことではなく、将来に向けて大きな希望を抱いているとします。そこには自分の今までの経験、してきたこと、見聞きしてきたこと、自分自身が持っている能力がベースになっています。
 私たちは、自分の歩んできた人生経験や能力の範囲でしかものごとを考えられず、そう考えると夢や希望はずいぶん狭く小さなものになってしまうのかもしれません。しかし、それは自分ひとりの持っているものをもとにして、夢や希望を持つなら、の話です。

 信仰があってもなくても、誰にでも希望は必要です。希望が一切なくなった時、人は生きる意欲をなくして弱って死んでいきます。
私たちが信仰を持つということは、この世界を創造され昔も今も宇宙をおさめておられる方の手のひらに乗って、そのうえで生きていくということです。これ以上確かな土台はなく、安心で安全な基礎はありません。
 信仰、希望、愛というものは目には見えませんが、とても大切なものです。この世界は神のみことばによって造られました。目には見えない「神のことば」に力があるのです。信仰によってこそ、希望が実現し目に見えないものが実在することが明らかになるのです。
 
 ですから信仰とはあってもなくてもよいものではなく、希望の土台として必ず必要なのです。希望を必要としない人はこの世に誰一人いません。ましてこの暗い時代にこそ、希望はすべての人に必要です。ところが、このことを知らない人が多いのです。皆さんは主に出会い、信仰を持っておられるので幸いです。その信仰を今度は周囲の人に伝える人となりましょう。

2014.5.4礼拝説教要約

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」
(ヘブライ11:1)


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