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ともに生きる

ともに生きる

八重咲のペチュニア

 8月26日、俳優の米倉斉加年(よねくらまさかね)さんが80歳で逝去されました。ぱっと思い出すのは、NHK朝ドラ『ちりとてちん』の頑固者のおじいちゃん役。最近では豊中市の社会福祉協議会のソーシャルワーカーをモデルにした『サイレント・プア』で深田恭子の演じるヒロイン里見涼の祖父役を好演されていました。たくさんのドラマや映画に出演された著名な方です。

 けれども、私がまったく知らなかったことがありました。米倉さんは1979年から数年間、モランボンの焼肉のタレ「ジャン」や「キムチ」のCMに出演するようになります。今見るとどうってことはないのですが、35年前はまだ韓国食品も一般的ではなく、もちろん韓国ドラマだってヒットしていません。その時代に「朝鮮の味」と堂々とうたったCMに朝鮮風のパジチョゴリを着て出演したのです。
 その後、彼はすべての役から降ろされ、仕事がなくなりました。子どもは学校でいじめられ、「お父さん、私の家は朝鮮人なの?」と尋ねたそうです。はその時、「そうだ、朝鮮人だ。朝鮮人で何が悪い?」と言ったそうです。米倉さん福岡生まれの日本人です。けれども、自分は朝鮮人ではない、日本人だとは決して言わなかったのです。

 以下、申淑玉さんの文章を紹介します。
「当時を振り返って、『あのとき、このコマーシャルはただ焼肉のタレの宣伝ではない、社会意識への挑戦であり、文化を伝える作業だと認識していたのは、全さんと私と、あなた(私のこと)だけだったかもしれませんね。わっはっは』と愉快そうに語ってくれた。朝鮮人と共に生きるということは、日本人の側にも相当の覚悟が必要なのだ。それは今でも変わらない」

(辛淑玉 「サバイバル手帳:踏み絵としての朝鮮人」 (社)子ども情報研究センター 「はらっぱ」 2010年6月号)

 自分は違う、日本人だということはたやすいでしょう。それは事実であり、当然のことですから。けれども、あなたと私は違う、自分は別の種類の人間だと言ったとき、そこに差別意識が含まれるということを、米倉さんは知っていたのです。ともに生きるということの意味を深く考えさせられます。

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました」(フィリピ2:6-7)

米倉斉加年 CM集 1980-1985年
☆ 読む・考える・書く 米倉斉加年さんとモランボンの「ジャン」


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