戦争がすぐそこに② ヤスクニにて
戦争がすぐそこに② ヤスクニにて
フィールドワーク2日目は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑と靖国神社に行きました。
千鳥ヶ淵は、戦争で亡くなった方々追悼のために国が作った墓苑です。政府をはじめ外国からの要人も、どんな宗教の方でも戦没者を追悼することができます。もとは、1953年に当時のニクソン副大統領が靖国神社への参拝を断ったことがきっかけとなったそうです。靖国神社には、A級戦犯など戦死者の中でも「英霊」と呼ばれる高位の軍人が祀られています。そこへ首相が参拝するということは、戦争を肯定するものであり、政教分離の原則に反していかに矛盾しているかがおわかりでしょうか。
靖国神社はもともと、明治天皇が作ったもので、戦前まで陸軍・海軍が管理する国の施設として、皇居のそばに建てられました。戦後、廃止する動きもありましたが、政教分離の原則に従い、単立の宗教法人になって存続しました。けれどももともと、お国のために死んでいった人を祀る神社なのです。拝殿といわれるところに入っていくと、何とも言えない圧迫感というか、気分が悪くなるのを感じました。
毎月、亡くなった人の遺書が掲示板に出され、プリントが配られるそうです。読んでみると、「何も思い残すことはありません。皇国のための私の戦死を喜んでください」というご立派な内容です。こんな「教育」をいまだにして、いのちの尊さを子どもたちに伝えることできるでしょうか。
ガイドしてくださった西川重則さんはお兄さんがビルマで戦死されたことから、戦争とヤスクニ問題に深くかかわるようになられました。ライフワークとして中国の重慶に毎年、謝罪の旅をしておられます。最初は戦争の加害者、日本軍の遺族ということで握手もしてもらえなかったのですが、毎年続けた結果、今ではともに平和を考える中味の濃い交流ができるようになったそうです。
教育の意味や影響力の大きさを考えずにいられません。
(続く)
「だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります」(Ⅱテモテ4:3-4)