在日大韓基督教会・豊中第一復興教会ようこそ! あなたの訪問を心から歓迎いたします。 환영합니다!

リトル沖縄

リトル沖縄

標高33mの「昭和山」からのながめ。万博前に市営地下鉄の工事のためにできた残土で造られた人工山

 韓日合同フィールドワークで「リトル沖縄」といわれる大阪市大正区に行ってきました。基地移設が強引に進められる中、反対運動に取り組む地元の人に対する差別発言が心痛むニュースになっています。沖縄出身の牧師の話を聞き、案内してもらいながら感じたことを記してみたいと思います。

 大正区では住民の約4人に1人が沖縄出身者。戦前は大恐慌、戦後は米軍基地として土地の強制接収などで、職を求める人たちが大阪―沖縄の定期航路を利用して住みついたことによります。川と海に囲まれた中州の大正区では、現在でも隣の区に行くための渡し船が市民の足として利用されています。1915(大正4)年に最初の橋である「大正橋」が木津川に架けられたときには、やっと人間扱いされたと住民はたいそう喜んだそうで、それを1932(昭和7)年に制定された区の名前にしたほどです。
 この話を聞いたとき、岡山県の長島と本土にかかる「人間回復の橋」と呼ばれる邑久長島大橋のことを思い出しました。

 現在はあちこちに沖縄料理の店やシーサーのある家などが見られますし、地元の小学校では沖縄の踊りエイサーを教えます。しかし、かつては差別と同化政策によって、人々は出自を隠して生きなければなりませんでした。沖縄には独特の苗字が多いですが、わからないように日本風に読み替えて名乗ったそうです。三線を弾きたくても音が漏れるので、押し入れの中でこっそり弾いたと聞き、胸がつまりました。

 差別と人権の問題はみんな、根っこがつながっていると思わされることが、ほかにもたくさんありました。かつては誇り高い琉球王国であったのに、日本の政治状況によって利用され続け、今また基地を押し付けられ、踏みにじられている沖縄。先週はついに、海上での工事が開始されてしまいました。彼らの痛みを知ろうとする者でありたいと願います。

「わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて/虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること」(イザヤ58:6)

コメント


認証コード2467

コメントは管理者の承認後に表示されます。

powered by HAIK 7.3.7
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. HAIK

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional