2011-03-27
2011-03-27
ふるわれる
毎日のようにEメールで、被災地からの情報と祈祷課題が送られてきます。物資を持って現地入りした知人からの報告をみると、隆起した道路に乗り上げられた車、バラバラになった家屋、真っ黒な泥だらけの教会の内部など、生々しい現状が伝わってきて、胸が痛みます。
自分が毎日温かい食事を取り、電気やガスを使い、普段通りの生活をしていることが申し訳ない気持ちになります。しかし関西にいても、水の汚染はどこまで広がるのか、放射能の影響はどうなのか、やはり皆が落ち着かない日々を送っていることは確かです。
私たちは今、何をすればいいのでしょうか。
福島から教会員とともに出エジプトの民のように転々と避難し、今は他県の教会で避難生活をしておられる先生の手記を読みました。また、津波でご自分の聖書さえ失ってしまった先生からのメールを読みました。
私は、どうするのだろうか。教会を失い、家を失い、親しい家族や友人が行方不明になり、着の身着のままで「生きる」ことだけがゆるされたなら……。その時でも、「イエスは主」「神だけが私たちの盾」「神の愛は決して変わらない」というメッセージを語れるのだろうか。
今、被災地だけではなく、日本中が揺れています。ふるわれています。私たちは何をしてきたのか。これからどう生きるべきか。今、何をすべきなのか。正解はありません。しかし、問い続けていきましょう。神さまの御前に、自分という存在を問いつつ、私たちに出来ることを模索していきましょう。
「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:31-32)