居場所がなかった
居場所がなかった
クリスマスには世界中の教会で、ページェント(聖誕劇)が演じられます。ヨセフとマリアと宿屋の主人と、天使と羊飼い、博士などなど、とてもほほえましい、ステキなクリスマスストーリーだと多くの方が思われるでしょう。
しかし聖書が語る降誕物語は、ロマンチックでも華やかでもありません。長旅をした妊婦マリアが今にも産気づきそう。でも宿も彼らを泊めてくれる宿はなく、とうとう家畜小屋で出産することになり、イエス馬の餌を入れる飼い葉おけに寝かされたのです。
聖書はサラリと「彼らの泊まる場所がなかったから」とだけ語ります。全国から帰省する人たちで、村はごった返していたのでしょう。けれどもヨセフは故郷へ里帰りしたのです。親戚の家に初めての赤ちゃんが誕生するのに、誰も手伝いにも来ず、部屋を提供してくれない、そんなことがあるのでしょうか。
イエスの母となったマリアは、神の霊、聖霊によって子どもを身ごもりました。ヨセフとはまだ婚約中でしたが、二人の間の子ではなかったのです。ふたりともとても困惑しましたが、御使いによって「恐れるな、胎の子は聖霊によって宿った」と告げられ、子どもを自分たちの子として受け入れる決断をしました。
しかし周囲の目はそうではなかったようです。イエスが後に郷里で安息日に会堂(シナゴーグ)で神の国について話されたとき、周囲の人は「あれはマリアの子じゃないか」とささやいたのです。父親の名前をつけて呼ぶのがユダヤ人社会の慣習ですが、母親の名前で呼ぶことの裏には、わけありの子、父親のわからない子、不倫の子、そんなニュアンスが込められているようです。
クリスマスは豊かな人、幸せいっぱいな人、持てる人のものではありません。むしろ、居場所のない人、苦しんでいる人のために、それらの人に寄り添うために、主は貧しく低くお生まれくださったのです。
メリー・クリスマス! あなたに主からの喜びがありますように。
(2014.12.8 KCCクリスマス礼拝メッセージ要約)
「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉おけに寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」(ルカ2:6-7)
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