わたしを求めよ、そして生きよ
わたしを求めよ、そして生きよ
みなさんはいま、生きていますか? 心臓が動き呼吸をしているだけで、魚の死んだような目をしているという人はおられませんか。
アモス書は農夫アモスを通して、神がイスラエルの民に語られた警告の書です。王国が滅びる前に、神に立ち返れということです。
「善を求めよ、悪を求めるな。お前たちが生きることができるために」(5:14)
私たちをがんじがらめにし、窮屈にするために善を行うよう勧められるのではない。私たちが幸せに輝いて生きるためなのです。
美しい花は人の目を楽しませ、香りや手触りなどを味わうためにあります。ゆりの花に泥を塗ったらどうでしょう? 台無しです。 絵の具をつけて絵を描いたら、新しいアートになるかもしれませんが、香りはなくなり、もったいない使用方法になります。あなたの人生にも造り主のご計画、目的があります。神の子どもとして生きる時、最も輝いた人生を送ることができます。何歳からでもビジョンと希望を持つことができます。
悪を求めるなら、罪を犯すなら、神に喜ばれる生き方からどんどん外れ、目の輝きが失われていきます。いい人そうにふるまっていても、それが本心かどうかは必ずどこかで現れてきます。
最近は本物と見間違えるようなドライフラワーや、プリザーブドフラワーなどいいものがたくさんあります。お金も手間もかかりません。でも、いのちがないのです。本物にはかないません。キリストにつながり、いのちを得ましょう。
9章では裁きの後の回復の約束が記されています。罪に染まった王国を地の表から絶つ、ただしヤコブの家を全滅させはしないとの約束です(9:8)。
そして驚くべきことに「ふるいにかけても小石ひとつ地に落ちない」ようにすると言われるのです。小石は普通、ふるい落とされます。しかし神のあわれみによって、小石のような役に立たない者である私たちが、地に落ちず残されるのです。ただただ、神の一方的なあわれみによることです。
水を得た魚のように躍動感ある人生を歩みましょう。造り主の目的に沿った生き方をしましょう。人生を浪費しないようにしましょう。それには、神を求めることです。
「まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。わたしを求めよ、そして生きよ」(アモス書5:4)
2016/4/24礼拝説教要約