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幸いな人

幸いな人

猛暑の中、お花も必死に生きていますね。いとおしいです
 
 韓国で「道端の詩人」と呼ばれているジョン・ジェワンさんに姉が出会ったそうです。
 
 この方は小児麻痺で肢体が不自由です。生きることが辛くて毎日タバコを吸い、死にたいと口走りながら生きてきました。
詩心は生来あったようで石ころやら電柱やらあちこちに思いのたけを書きつけていました。
 そんな彼が教会に通い、キリストに出会って180度変えられました。行商をしながら聖書を読み、書いた詩が出版されたのです。生を恨むのではなく生かされていること、イエスさまがともにおられることを賛美する詩があふれるようになりました。タバコは不要になり、あふれる笑顔で今日も多くの人を励ましています。

 私たちは資本主義、合理主義の社会に生きています。大きいこと、強いこと、儲かること、稼ぐこと、学歴の高いこと、出世することがいいことだと信じる社会です。そういうなかで、貧しいことを幸いだという価値観は受け入れにくいものです。

 しかし、イエスさまは心の貧しい人々は幸いだと言われました。
私たちは無知よりも多くを悟っている方がはるかによいと考えます。けれども天の御国の法則によりますとそれは正反対です。 

 私はキリストを知っている。
 清く正しい生活を送ることができる。
 私は自分の決断に従って秩序ある人生を生きられる。
 私は信仰深く神さまを誰よりも愛して教えを守っている。

 このように自負している人は立派かもしれませんが、実は神さまの目からみると幸いではないというのです。

 ガリラヤ湖畔でイエスさまの教えを聞きたくて病気をいやしてもらいたくて触れてもらいたくてイエスさまの後をついて来た群衆はみな無学な貧しい人々でした。

 神さま私をあわれんでください。
 神さま私には何もありません。
 神さま私には何の力もありません。

 心からそう思い、もろ手を挙げてより頼む人に神さまは豊かな恵みを施されるのです。
 
 私は知っている。
 私にはできる。
 私はそこそこやってきた。
 私はあの人たちとは違う。

 そう思っているうちはまだ、この幸いな天の御国の門は開かれません。砕かれて砕かれて神のみ子であられたのにその身分をさえ捨てて地に降られたイエスさまのことをおぼえましょう。

「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」(マタイ5:3)

メールマガジン20170721「まな・Toyonaka」より

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