その日そのとき
その日そのとき
彼の現れるとき、誰が耐えうるか。
(マラキ3:2)
アザラシ型の介護ロボット「パロ」を初めて見て、さわってみました。
病院の待合室に置いてあったのですが、鳴き声がかわいくて、頭などをなでると、長いまつげのぱっちりお目目でまばたきしたり前足をパタパタして反応します。
次に行ったときには女性がうれしそうに抱っこしていて、あなたもやってみてと言われて抱いてみると、ちょうどいい重みで全身で反応しているので愛くるしいなと思いました。
さまざまな分野でロボットが活用され人材不足を補うと言われています。人工知能(AI)の発達により、子どものころ映画やテレビで見たような近未来の世界がもうそこまで来ているように思います。
それと同時に先週から桜島の大噴火が起こっているように、自然災害も世界の各地で相次いでおり、その規模も大きくなっています。
どんな技術革新をもっても人間には限界があることも思い知らされます。
世の終わりが近づいていることを感じます。
この世界は神さまによって造られました。
ものごとには始めがあり、終わりがあります。
世界は神さまの手によって終わるときが必ず来ます。
わたしたちのいのちにも限りがあって、やがて終わりがくるようにこの世界にも終わりが来るのです。
その時は、イエスさまが再びこの世に来られる時でもあります。
イエスさまがこの世に来られた時、多くの人たちは喜んで歓迎したのではなく、動揺しました。
ヘロデ王とエルサレムの住民たちは不安を抱いたと記されています。
主イエスさまは愛とあわれみに富む方ですが、同時に義なる方、裁く方として来られたからです。
終わりの日には、再び来られる日には、まさに、審判のために来られます。
主の怒りに耐えうる者がいるだろうかと聖書は語るのです。
けれども、主を畏れ敬う者神さまを愛する者にとってはその日は喜びの日、解放の日となります。
しかし、
わが名を畏れ敬う
あなたたちには
義の太陽が昇る。
その翼には
いやす力がある。
あなたたちは
牛舎の子牛のように
躍り出て跳び回る。
(マラキ 3:20)
あなたの寿命がどれほどか誰にもわからないようにその日も、盗人のように来ると聖書は語ります。
イエスさまが再び来られる日があなたにとって耐えられない恐ろしい日とならないように神さまに愛されていること選ばれた者として果たすべき使命があることを
きょう、確認したいと思います。
(メールマガジン「まな・Toyonaka」20171016より)