巡礼の旅
巡礼の旅
起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り/主の栄光はあなたの上に輝く。
見よ、闇は地を覆い/暗黒が国々を包んでいる。
しかし、あなたの上には主が輝き出で/主の栄光があなたの上に現れる。
(イザヤ60:1-2)
昨日の朝のメルマガは、京都の宿から配信しました。
ソウル近郊の果川教会(クァチョン)一行30名の「日本霊性巡礼」ツアーに、1日目と2日目だけ加わったのです。
2日目の昨日は高麗美術館(朝鮮通信使展をやっていました)、大徳寺瑞峯院(十字架庭)、尹東柱詩碑(同志社大学)などなど京都のあちこちを回りました。
アジアの平和のために、日本はとても重要なカギとなっています。日韓関係がこじれる中、平和と和解という神さまのみこころを求めて、殉教者を通して平和のための歩み、和解のための働きをするための行程です。
初夏のような天候にも恵まれ、充実したすばらしいツアーの1日を堪能しました。
わたしにとっては本当に久しぶりに家と教会を離れいのちの洗濯をしたようなひと時でした。
昨日書いたように果川教会とは多少のつながりがありますが、ツアー一行のメンバーは引率の日本在住の姉妹をのぞいて、初対面です。
ですがわたしの荒野の経験を分かち合い、ともに賛美し祈って合流しましたので、本当にあたたかい豊かな交わりを持つことができました。
一日の行程の最後に訪ねた場所は長崎で処刑されたキリシタン、26聖人出発地でした。
といっても、病院の敷地に小さな「二十六聖人発祥之地」という碑がひっそりと建っているだけです。
26聖人とは豊臣秀吉時代にキリシタン禁止令により処刑された6名の宣教師、20名の日本人クリスチャンのことです。
京都から長崎まで見せしめのために彼らは裸足で歩いて処刑地の長崎まで引いて行かれました。
耳をそぎ落とされ血を流しながらボロボロの身体で800キロも行脚させられたのです。
こんな惨めな恐ろしい姿をさらしたらキリシタンたちは信仰を棄てるだろうというねらいだったそうです。ところが途中で悔い改めて自主的にわたしもキリシタンですと加わる人が増えていき、行列を見た人はキリシタンとは何という人たちだと畏怖の念を持ったということです。
まったくねらいとは逆のことが起こりました。
神さまはどんなことをも益と変えてくださいます。
十字架は逆説の福音です。
世の人々にとってはつまらないことも、神さまの喜ばれることであるならば、必ず必ず祝福されます。大きな実を結びます。
イエスさまは死んでよみがえられました。
神さまの子どもとされたあなたの上にはすでに主の栄光が輝いています!!
相変わらずトンネルのなかのような闇がこの地を覆っているような状況があっても、その真理は変わりません。
イギリスでは聖書の次にクリスチャンがよく読んでいるという17世紀に記されたジョン・バニヤンの『天路歴程』によると、わたしたちの人生は天国への巡礼の旅路です。
山あり谷あり、試練があり誘惑があり戦いの連続です。
しかし、神さまを求めみことばとともに歩むなら、必ず勝利し天のみ国へと導かれます。
すでにあなたの上に輝いている主の栄光をさあ、起きて、立って出て行き、輝かせましょう。
寄り添ってともに歩んでくださるイエスさまとともに旅路を進んでまいりましょう。
(メールマガジン「まな・Toyonaka」20180411より)