フクシマと私たち①DVとフクシマ
フクシマと私たち①DVとフクシマ
先週、大阪市内で「全国DVホットライン>http://dvhotline.net/研修会」に参加しました。全国教会女性連合会で立ち上げた電話相談「セットン」には最初、あまり電話がかかってきませんでしたが、ホットラインからの転送を受けるようになって、飛躍的に件数が増えました。
かなり衝撃だったのは、ちょうど震災の頃、関西から福島に転勤になり、混乱した現場で電話相談事業を立ち上げた女性の話です。私たちが日ごろあまり触れることのない、フクシマの日常、たとえば桜のきれいな公園に誰も人がいない、晴天の日も布団が干せない、子どもを外で遊ばせられず、屋内のプレイランドが大人気だが90分交代制で列を作って子どもは管理されながら遊ぶことなど、胸が痛みました。
同時に目からウロコだったのが、フクシマとDV被害との対比です。世界に注目されたフクシマの出来事は、どこにでも起こりうるということ。また、DVは特殊なことと思われがちですが、いつどこで統計をとっても既婚者の3人に1人が夫からの暴力を経験しているとの結果が出ています。貧困や低学歴の家庭、民族に起こると誤解されますが、全く関係ありません。
被害を「見えない、見せない、見たくない」。
放射能は目に見えないのでわかりにくいし、被害の実態を国は隠そうとするし、現実を直視しようとしない。それは密室で行われ、加害者によって口止めされ友人と会うことも制限されるDVも全く同じ。権力者によって弱者がコントロールされ、「お前が悪い。お前の問題だ」とされる構図は、あらゆる差別問題、暴力、ハラスメントに共通するものだとの思いを新たにしました。
ここに住んでいていいのか、何を食べさせればいいのか、外に出るべきか否か。原発事故で奪われた日常生活は、基本的人権の喪失です。自己責任や個人の問題ではありません。神の国と神の義を追い求める者として歩みたいと願います。
「共に集まれ、集まれ/恥を知らぬ国よ。判決が出されぬうちに。……主を求めよ。主の裁きを行い、苦しみに耐えてきた/この地のすべての人々よ/恵みの業を求めよ、苦しみに耐えることを求めよ。主の怒りの日に/あるいは、身を守られるであろう。」(ゼファニヤ2:1-3)
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