おもんぱかる(慮る)
おもんぱかる(慮る)
ちょっと気分が落ち込むようなことがありました。
最初は全然、気にしていなかったのですが、後から同じようなことを複数の人から言われたのです。
失敗したわけではないし、意図して人を傷つけたわけでもありません。ただ私のしたことを理解していただけず、間接的に批判されたのです。直接聞いてくださったら、いくらでも説明できたし理解し合えたかもしれないのにと残念です。
正直、そんなに軽はずみな人間と思われたのか、こちらにはこちらの考えがいろいろあったのにと少し腹も立ちましたし、一時は「あの人たちと私たちは違うんだ」と考えてしまったことも確かです。
そんな時、テレビドラマを見ていましたら、夫婦ゲンカの場面が出てきました。「あなたは自分がいつでも正しくって私のことなんてちっとも考えてくれないのね!」と泣きべそをかいているヒロインに向かって、「それは180度返せばあんたも同じでしょ」と思わずつっこんでいました。
そしてハッとしたのです。
私の行動は軽率なものではなく、熟慮した上のつもりでした。私なりにそのときの状況を考えて最善の選択をしたつもりでしたが、理解されなかった。しかし相手の立場、背景、感情などなどを考えると、なぜよく思われなかったのかということが少し見えてきました。
人間は一人一人が神さまによってユニークに、かけがえのない存在として作られました。それぞれに生きてきた歴史があり、環境、背景、家族、経験があります。だから考え方も言動も同じであるはずがありません。
相手の言動をパッと見て性急に判断するのではなく、なぜあの人はこうしたのだろうかとその背景まで考えて理解しようとするとき、初めて見えてくるものがあると知りました。大発見に感謝します!
「わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように」(フィリピ1:9)
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