苦い根
苦い根
猛暑が続いています。日照りの中で、やってもやっても追いつかない感じで、草木の水やりも大変です。それでも芝生だけは青々と茂っています。
教会に入る通路の細い道を、教会のみんな(ほとんど女性だけ)の手で数年前に整備しました。水はけが悪く雨の多い日にあちこちに水たまりができることや、見栄えの悪いことなど、いくつかの理由から、斜めになっていた部分のかなりの量の土を取り除いて平らにし、花壇を作りました。
実は、この土を取り除くことには少し、躊躇がありました。なぜなら芝生は亡くなった先代牧師(筆者の父)が植え、丁寧に刈りそろえて手入れをして育てたものだったからです。それでもやはり、庭を整備したほうがよいと決心して、はぎ取るようにして土を大量に除去しました。
ところが少しずつ少しずつ、芝生は回復し、今では前以上に勢いよく茂っています。見るたびに、根が張っているんだなということを実感するのです。根がある限りいのちがあり、枯れたように見えても、なくなったように見えても、また生えてくるのです。
ところが同じ根でもこれが「苦い根」であるならば、困ったものです。人を憎んだり、ねたんだり、すぐにカッとなったり、人との交わりがうまくできなかったり、私たちの人生において結ばれるいろいろな「苦い実」には必ずその原因が根の部分にあります。
その根とは大部分が乳幼児期に起こった出来事を通して、私たちが受けた傷、間違った反応を抱いてしまった罪にあるのです。
キリストというよい樹につらなっている私たちは、みずみずしい実を必ず結ぶことができます。主から十分な養いを受けて、愛、喜び、平安などの義の実を結びたいと思います。そのためには、苦い根に気づかせていただき、主に取り除いていただきましょう。
「神の恵みから除かれることのないように、また、苦い根が現れてあなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚れることのないように、気をつけなさい。」(ヘブライ12:15)
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