平和を求め、いま祈る ~遺骨奉還をおぼえて~
平和を求め、いま祈る ~遺骨奉還をおぼえて~
牧師という職業柄、いろいろな場面で祈りをささげることがありますが、2週間前、とても珍しいケースがありました。お寺での法要で祈ってほしいと言われたのです。
キリスト教的には追悼礼拝といいますが、この集まりの背景を知り、今の時世の中、平和のために祈らせていただきました。詳しくは「70年ぶりの里帰り~遺骨奉還~」をごらんください。
今こそ、ともに平和のために祈りましょう。法要のなかでささげた祈りを抜粋して掲載します。
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天地万物を造られ、歴史をつかさどっておられる主なる神よ。今宵、私たちは長い間祖国に帰ることのできなかった故人を覚え、慰霊のために集いました。祖国を離れて孤独と不安、怖れと苦痛のうちにこの地で亡くなった方々をあなたは決して捨て置かれず、覚えていてくださり、その霊を慰めてくださることを信じます。苦しみながら亡くなっていった彼らが願っていたことは何でしょうか。何よりも家族の幸せ、平和な暮らし、祖国の平和統一であることを私たちは疑いません。
世界をすべ治めておられるいのちの神。今、私たちはこころを合わせて祈ります。どうかむなしくこの地に散っていた多くのいのちが、決して無駄になることがありませんように。「平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる」と語られた主よ。どうかこの国が、へりくだり、和解の使者となり、アジアの平和、世界の平和を実現する者となりますように。ここに集められた私たちが、まず、そのような者となることができますように。そのことこそ、故人の願いであり、慰めとなることを信じてやみません。
天においてあなたの義が行なわれるように、この地においても行われますように。まず、私たち一人一人のうちに、主にある平和をお与えください。人を憎むこと、ねたむこと、見下すこと、恐れること、傲慢になることから解放してください。私たちは善をなそうと心がけながらも悪が心のうちに宿ってしまうみじめな人間です。そのような罪深い者のために、愛の神、あなたが御子イエスのいのちを十字架を通して惜しみなくお与えくださったことを心より感謝し、ただただ御名を讃美いたします。キリストがいのちをかけて教えてくださった愛と平和が、どうぞ私たちのうちになりますように。この地に、この日本に、世界に成就しますように。
この国が、再び武器をとり、若者を戦地に送り出すことがありませんように。神の与えたもうた尊いいのちを奪う闘いの場に、赴くことがありませんように。この国に与えられたすばらしい賜物を、技術を、知恵を、財を、人を助け、苦しむ人を救うために用いることが出来ますように。
義なる神。今、私たちは心を合わせて祈ります。どうか国をつかさどる者たちに、あなたの知恵をお与えください。自らの利益のためにではなく、民のいのちを守るために、選ばれた者としての使命を正しく果たすことができるよう導いてください。
亡くなった方々の無念が、日本とアジアの和解、南北の平和統一、戦争のない世界というすばらしい未来によって、晴らされますように心より願います。
(この後、アシジのフランチェスコの「平和を求める祈り」と「主の祈り」を韓国語と日本語でささげました)
2015年9月15日本願寺津村別院にて