朝ごとのマナ
朝ごとのマナ
今年も早いもので、残すところ1ヵ月半となりました。皆さんにとって、今年一番感謝しているのはどのようなことでしょうか?
私は何といっても『マナ>http://www.wlpm.or.jp/manna/』誌を用いて、皆さんといっしょにデボーション(聖書を読み祈り静まるひととき)が出来たことです。まだ時間が取れないという方、生活のリズムになっておらずめったに読めない方もおられるようですが、始めたということが大きな進歩、成長ではないでしょうか。どんな方法にせよ、日ごとにみことばのマナをいただいて、武具を身につけて世の戦いに出ていきたいのです。
一番恵まれたのは、牧師かもしれません。皆さんに勧めた以上、自分がやらないわけにはいきません。分かち合いの会をするためには、自分が内容を把握していないといけません。そのため繰り返して読み、黙想することになります。
先週水曜日の箇所は、ゼカリヤ書7章1~14節でした。
イスラエルの民は都エルサレムが崩壊した日をおぼえ、毎年断食をしていたのですが、バビロン捕囚から帰還した後、今後もこれをしなければなりませんかと祭司たちに尋ねてきたのです。この質問に対して主は預言者ゼカリヤを通してお答えになりました。
「五月にも、七月にも/あなたたちは断食し、嘆き悲しんできた。こうして七十年にもなるが/果たして、真にわたしのために断食してきたか。あなたたちは食べるにしても飲むにしても、ただあなたたち自身のために食べたり飲んだりしてきただけではないか」(ゼカ7:5-6)。
真にわたしのためなのか?
そう主に問われると、正直、自信がありません。主のためだと思っているし、そのつもりではあるのです。でも突き詰めてみると、人に認められたい、立派に見せたいなど自分勝手な、人間的な思いがあることを認めざるを得ません。
けれども、イスラエルを愛して見捨てない神さま、赦して立ち帰らせてくださる同じ主が、私の弱さ醜さを知りながらなお、用いてくださる。みことばに励まされ、味わうほどに喜びがあふれます。
「主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる。「あなたの真実はそれほど深い」(哀歌3:22-23)
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