酵母と蜜、そして塩
酵母と蜜、そして塩
先週、在日大韓基督教会第52回定期総会が名古屋教会で開かれました。全国の教会の問題を話し合い、これからの方向性を討議する大切な会議です。いろいろな議題を通して、教会が弱っていることが強く感じられました。そんな中、心に強く迫ったのが2日目の朝の礼拝でのメッセージでした。関東の女性牧師のC先生の説教を紹介させていただきます。
酵母も蜜も、パンをとてもおいしくするものです。私は神さまに言いました。「神さまなぜですか。とてもいいものじゃありませんか」。でも神さまは「絶対にダメだ。わたしは塩だけじゃないといやだ」と言われるのです。
酵母が入るとすぐにパンが膨らみ、味が変わります。蜜は小麦粉の味を消します。人の舌は甘いものに弱いからです。これに対して塩はどうでしょう。塩は食物の腐敗を防ぎ、素材の本来の味を引き出します。塩をかけた野菜が甘いということに、気がついたことがあるでしょう。
私たちの教会にも、すぐに結果が出て派手に見え、甘く魅力的な酵母や蜜ではなく、塩が必要なのです。決して変わることのない神の契約を「塩の契約」とも言います。塩は幕屋の中にたきぎとともに備えておくもの。塩を準備することは自分の力ではできません。ただ聖霊によりたのむことによって、塩を備えることができるのです。
(レビ記2:1-16「塩」2013.10.16敬虔会メッセージ要約)
多くの人が涙ぐんでいました。皆さんは牧師であるなら、とても敬虔な人で、日ごとにきよめられて曲がったことなど考えもしなと思われるかもしれません。
しかし、それは幻想です。特別な人ではなく、ただの人間です。しかも狭い世界の中で、”立派できよい人”であることが求められているようなプレッシャーと戦っているのです。牧師は神でもイエスでもありません。どうかお祈りください。
「酵母や蜜のたぐいは一切、燃やして主にささげる物として煙にしてはならないからである。……穀物の献げ物にはすべて塩をかける。あなたの神との契約の塩を献げ物から絶やすな」(レビ2:11,13)
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