心の洗濯
心の洗濯
先週、月曜から水曜日の三日間は「心の洗濯」をしました。
牧師になった最初の年、それまでの倍速で時間が過ぎていくように感じました。目の前のことに追われて周りを見る余裕もありません。はたと気づくと、あれこれとしなければならないことに追われている自分がいました。このままでは流されてしまう、と焦ったことを覚えています。
それ以来、秋の黙想の時間はかけがえのないものとなっています。本当は年に何度もこういう時間が持てればいいですが、なかなかそうはいきません。
今年はいろいろあって、時間がさらに高速化してしまいました。何しろ二足の草鞋を履いていますから、1週間のスピードはさらに速くなって、もうたいへんです!
ところで暦も11月となると、いろいろと気ぜわしくなってきますね。おまけに会計年度は12月締めで、1月中には公同議会(信徒総会)を開かなければなりません。これからクリスマス年末年始、そして1月末までの日々を思うと、胃が縮まりそうです。クリスマスは恵みのときなのですが、舞台裏がとても大変なのは事実です。
だからこそ、時間の流れをちょっと止めないといけないと思ったのです。今回は祈祷院にはいけず、特に何もしなかったのですが、1日はひたすら温泉につかり、2日は教会でゆったりと過ごしました。ほんの少し、気持ちにゆとりが生まれたように思います。
皆さんも1日、いや半日だけでも、何もしない日を作ってみてはいかがでしょうか。仕事と家事、いろいろな用事、インターネットに電話にメール、多くのものに追われて、私たちは体を休めるとか、じっくり考えるという貴重な時間を奪われています。
あれから仕事は溜まっていますが、気分はさわやかです。私の能力を越えた仕事を主はお与えにならないのですから、きっと乗り切るこができると信じています。
「いと高き神のもとに身を寄せて隠れ/全能の神の陰に宿る人よ。主に申し上げよ/『わたしの避けどころ、砦/わたしの神、依り頼む方』と。……神は羽をもってあなたを覆い/翼の下にかばってくださる。神のまことは大盾、小盾。(詩編91:1,4)
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