2011-02-20
2011-02-20
宝物
先週、韓国の姉と学生たちが来日、同じ時期に北海道の妹も帰省するというので、姉妹全員が集まり、教会学校の先生だったMさんも北陸から駆け付けてくれました。Mさんは神学生時代に奉仕に来られ、教会を出て開拓を始めた時も、ついて来てくださいました。
数年ぶりに揃った顔ぶれでの話題はやはり、開拓当時の教会のこと、アボジのこと、オモニのこと。教会からの謝礼などない時代、子ども4人と20代のお姉さんを、いったいどうやって養い、学費を払っていたのでしょう。まったくもって不明です。
しかし、神さまに祈れば応えてくださり、必要なものも折々に「エリヤのカラス」を通じて送ってくださったことも知っています。クリスマスケーキなんて高嶺の花。わが家で買えるはずもないのですが、ある年、心優しい「カラス」さんが生クリームの素敵なケーキをくださいました。家庭礼拝が終わって、待ちかねた妹がいそいそと運んで来たきものの、足を滑らせて床に落としてしまい大爆笑。そのような、今も忘れられないエピソードは多々あります。
今はそれぞれに子どもを抱え、教会を支え、多くの役割を持ちながら奮闘しています。その土台に、あのときの豊かな信仰経験が宝となっていることを、確認し主に感謝したひとときでした。
「『ここを去り、東に向かい、ヨルダンの東にあるケリトの川のほとりに身を隠せ。その川の水を飲むがよい。わたしは烏に命じて、そこであなたを養わせる』……数羽の烏が彼に、朝、パンと肉を、また夕べにも、パンと肉を運んで来た。水はその川から飲んだ」(列王上17:3,4,6)