2011-08-07
2011-08-07
「D記念日」
ちょっと早いですが、9月になると1周年になります。わが家に泥棒が入ったD記念日。久しぶりに思い出しています。
その日は月一度の「愛の家」の集会での奉仕の日でした。午前中から車で出かけ、いつものように午後3時半ごろに帰宅。着替えて一休みしているとき、母が勝手口のガラスが破られているのに気付きました。
机の引き出し、本棚などに入れてあった現金が抜き取られ、封筒や財布は元通りに収められていました。プロです。普段なるべく現金を置かないことにしているのに、たまたま謝儀をいただいた翌日であり、銀行に行く時間がなくて、手元に置いていたものが全部やられました。
警察にいろいろと調べてもらい、バタバタしましたが、みな片づけてから母と二人で祈りました。その中で私は不思議な感覚に気づいたのです。見知らぬ人間に家の中を全部見られたことは、とても気持ちが悪いのですが、なぜか「お金を盗られて悔しい」とはあまり感じていないのです。それより現実に空き巣をして、他人のお金で生活をしている人がいるんだと思うと、なんという哀れな人間かと思ったのです。
わが家にとっては、かなり痛い金額が盗られてしまい、生活費はないし、公のお金は返していかねばなりません。でも、平安なのです。大丈夫、神さまがちゃんとしてくださるという確信があります。そして母と二人、「何とかなるよ、感謝だね」といって笑ったのです。本当にですよ。
そして、気付いたのです。私たちのうちに与えられている平安というものは、決して誰にも盗まれることがない、貴い宝物なのだということに。そのことが、何より嬉しかったのです。ハレルヤ!
「富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。」(マタイ6:19)