謝らない大人たち
謝らない大人たち
ちょうど1年前のことになりますが、漢方薬が体質に合わず入院騒動になりました。
その後、何となくその薬が処方された耳鼻科には行きづらくなりましたが、かなりたってからのどの調子が悪くなり、やむなく受診。薬の副作用を知らせねば、と入院のいきさつを医師に報告するや、ものすごい剣幕で叱られました。肝臓が悪いのはその薬のせいだとなぜ断言できるのだ、何か他に原因があったのではないかと。自分は悪くないと証明したいようでした。
別に先生を責める気はなかったのですが、苦労した者に怒りをぶつけられて、お角違いだとこちらもムッとしました。
またある時、ある方からとても無理な仕事の依頼がありました。
チームで話し合ってすべきことなのに、独断で進めようとするので周りはイライラしました。それでも気のいい人たちなので、なんとか形にはしましたが、当の本人は迷惑をかけたという自覚もなければ、さらさら謝る気もありません。
最近のある日のこと、代金引き換えの宅配便が自宅に届きました。伝言を忘れて外出したため、母は受け取ってよいものかどうか迷って、携帯で連絡するものの私は取り込み中で不在着信。ほんの数分待ってもらう間に、若い配送員はイライラし、外で怒声をあげました。
「殴られるかと思った」と帰宅後に母から事の顛末を聞き、どうすべきか迷いましたが、思い切って宅配会社に連絡して事情を話しました。すると、すぐに当の本人が飛んできました。先ほどはすみませんでした、と頭を下げる若者にこちらもすみませんと謝って、とてもさわやかな気分になりました。
大人になり、肩書や知識や経験、いろいろなものが加わると自分の非を認めることが難しくなるのでしょうか。
くだんの若者はアルバイトかもしれません。乱暴で社会のルールも知らないかもしれません。それでも、素直に謝ることが出来るのは、これから成長する証しではないかと思います。
いくつになっても、頭も心も柔らかい人でありたいものです。
「わたしは彼らに一つの心を与え、彼らの中に新しい霊を授ける。わたしは彼らの肉から石の心を除き、肉の心を与える。」(エゼ11:19)
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