責任
責任
偉大な指導者、静かに熱い闘士であったネルソン・マンデラ元大統領逝去のニュースに世界中が哀悼の意を表しました。
その翌日、多くの国民が反対の意思を表し、弁護士や作家など各界でも懸念の声が高まる中、特定秘密保護法が強行採決の結果、成立しました。
この法案にいち早く危険性を感じとったのは、福島の市民です。あの原発事故の際、政府は今何が起こり、どの程度危機が迫っているのかという国民の生命にかかわる情報を隠蔽しました。今も私たちはだまされ続けています。
「秘密」の範囲があいまいな法案が成立してしまえば、国は自由に堂々と都合の悪い情報を隠すことができ、国民は「知る権利」を奪われてしまいます。
帝国主義国家のもと、自分の意思が表明できず、うかつなことを言ったり書いたりしたら罰せられた時代はさほど遠い昔のことではありません。敗戦後、貧しさと屈辱と喪失感の中で、自らの過ちと自由の尊さ、民主主義の大切さをかみしめてきたはずのこの国が、再びあの時代に戻ろうとしているのです。
マンデラ氏は27年にわたって投獄され、生涯をかけてアパルトヘイトを廃止し、黒人と白人の平等というごく当たり前の権利をもたらしたのです。「自由には様々な責任が伴う」と自伝の中で語ったとおり、彼はその責任を果たして生涯を閉じました。
私たちは主にあって与えられた自由があります。もはや罪の奴隷ではなく、主のものとされ、天に国籍が与えられた者として果たすべき責任があります。今、そのことが問われているのではないでしょうか。
「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません」(ガラテヤ5:1)
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